認知症に負けない!

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今回は「認知症に負けたくない」という
私自身の気持ちについてです。

十数年前に父が認知症になったときは、
おもに母が介護していました。

現在はその母が認知症となり私が介護しています。

“認知症”という病気に向き合い、

多くの介護者の方が経験する思いや苦労を
身をもって知りました。

そして、母の介護をする中で芽生えた
「認知症に負けない、負けたくない」という気持ち。

強がりだけで終わらせたくない気持ちです。


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認知症の母は何度も同じ話をしたり、質問をしたりします。

認知症だからと頭で理解していても、
何度も繰り返されると、
だんだんとやさしく聞くことができなくなります。

ついぞんざいな言い方で応じたり、
「さっき言ったでしょ!」と声を荒げてしまったり。

そんな対応をしてしまった後は
自分の辛抱の無さに嫌気がさして悲しくなります。

なぜうまく対応できないのだろう・・  (-_-;)

認知症の人への模範的な対処法といえば、

「何度同じ事を言われても、毎回初めて言われたかのように対応する」

「毎回にこやかに聞いてあげる」

たいていの本にこう書いてあります。

しかし ((+_+))

いつもそんな理想的対応ができる人はどれほどいるでしょうか・・?

どんなに熟練した「聞き手」であっても、
同じことを5回以上聞かれるとストレス過剰になるという臨床もあります。

私なんかが失敗するのは当たり前かもしれない、

実際
ほかの認知症家族の介護をしている人に聞いてみると
やはりみんな同じだという答え。

少しホッとしました。

完璧にできなくてもいいんだ。
そう思うと気が楽になります。

そして

認知症になった親に対してというより、
認知症という病気に対する腹立ちが根底にあることに気付きました。

認知症はほかの病気とは大きく異なります。

自分としての意識を失ってしまう認知症。

どんなに立派だった人でも認知症になると
以前の姿からは想像できないほどの別人、

プライドや尊厳などないような状態になります。

考えようによっては、
“ひと”ではなくなったかのような存在。

あまりにもみじめで悲しすぎ、怒りさえ感じます。

さらに、
認知症は決して治癒することはないという現実
より怒りを大きくさせます。

認知症という病気はガンや心臓病よりも
打ち勝つことのできない強敵です。

勝つ見込みのない絶望感。
かすかな希望も持てない。

“認知症”という言葉はそんな暗いイメージで覆われています。

。・゜・(*ノД`*)・゜・。


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それでも

あきらめきれない思いが頭をもたげてきます。

勝てないとしても・・

それでも

“認知症”に負けたくない!

認知症になった親の介護は
心底疲れてしまうけど、

負けたくない!

認知症という病気に負けたくない、

なんとか親を助けたい、という思いだけでなく

自分の将来のためにも
認知症に負けたくないと思うのです。

将来、高齢者の4人に1人が認知症、
ということは
自分も認知症になる可能性は高い。

そのとき自分は認知症とどう向き合うだろうか。

親と同じような経過をたどっていくとき
どんな思いを抱くのだろうか。

そのときになって初めて
親の気持ちを理解することになるのだろうか。

・・・
そうかもしれない。

だとすると
そのとき自分はどう接してほしいと思うだろうか。

そんな風に考えると

一層親が哀れに思え
愛情が掻き立てられます。

何度も同じことを言ってうんざりさせられても、
家族が困るようなことをしてくれても、

哀れに思って許そうという気持ちになれます。

毎日くじけそうになりながらも、

負けたくない!

認知症に負けない!

そんな気持ちで母の介護を続けていきます。


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